
自分の人生に少なからずの影響を受けた、いってみれば人生の師は両親を筆頭に存命、故人、歴史上の人物など何人かいますが、自分が社会人一年生の時の会社の上司で、世の中のいろはを教えてくれたS氏は、数少ない会いに行くことできる人生の師の一人です。
年に一度はお元気な姿を見に見せに行くのを常としていましたが、数年前かな?奥様の具合が悪くなってから、本人の意向もあって中断気味だったのです。
ただ昨年年賀状が来なかったので確認してみると、奥様が帰らぬ人になったとのこと。
しかし気遣いもあってか周りには知らせてないとのことでした。
そして去年のゴールデンウィーク前後に御焼香もかねて訪問させていただき、また年一の顔見せを復活させようと今年も家内と二人で出掛けてきました。

BOBBY BARNON(ボビー バーノン)通称BB。
これは日本のメンズファッションに革命を起こしたVANなきあと、S氏がハイウッドの俳優の名を冠して立ち上げたブリティッシュトラッドのブランドで、僕が社会人一年生の時に出会ったファッションであり仕事でした。
今でもググるとちゃんと説明や画像が出てくることを考えると、それなりのファン、紳士服に対する多少の影響を与えたことを確認できるとともに、嬉しさが込み上げてきます。

そのBBを展開していた会社が株式会社Goodyでした。
この会社は他にもいくつかのブランドを手掛けていましたが、BBがいよいよレディースを始めるにあたって、今でもきっちりブランドを確立している会社経営のJUNから引き抜かれてきたのが、最愛の妻 直子ちゃんです
今でも十分に可愛いですが、当時は芸能界のスカウトに声を掛けられるほどの、少し外国の血、多分ロシアかな、が混じっているようなクオーターっぽい顔をしていました。
僕も若かったですね(笑
メンズファッションしか知らなかった僕は、社長から何故かキャラがレディース向きだといわれ、会社の都合大人の事情で婦人服を担当させられました。
今でも覚えてます「ペチコート?この真夏に女の子はどんなんコートを着るの?」と質問し大爆笑の渦が巻き起こったことを💦
でもそこで直ちゃんからデザインのいろは、感性とは、感覚とはを教えられた気がします。それからの僕は関心がブリティッシュトラッドからバーニーズニューヨークへ、その後アルマーニ&フェレへ、最後にベルサーチに辿り着き、そこが感性の終着地だったような気がします。
我が家にとっての「冷やし中華始めました」

巷では「冷やし中華始めました」の幟が夏を告げる風物詩の一つと数えられてる節がありますが、そういったことでは我が家はこれ、すだちの冷がけ蕎麦です。
美しいでしょう、このビジュアル。そして涼しげでしょう。
このお蕎麦を食べると、出汁のきいた割下の冷たい汁に、すだちの酸味が加わってえも言われぬ清涼感が全身に染み出します。


そして蕎麦自体も美味しい。上品で腰のあるそばの喉越しは最高です。
S氏宅に向かう前の昼食は、この我が家に夏を告げるすだちの冷がけ蕎麦を楽しんでから、千葉みなとまでのドライブとしました。
第二の我が家!?

今から40年以上前まだ京葉線はなかったはずで、たまに電車でS部長宅(今でもS氏のことを僕も家内も部長と呼びます)へうかがう際は、総武線の千葉駅からバスでいった記憶があります。
今はTDLの舞浜駅がある京葉線に千葉みなとという駅があり、そこから至近距離で、高層マンションも立ち並ぶ巨大な団地になりましたが、S部長のご自宅はこの巨大ベッドダウンの黎明期に三井がデベロッパーとなって開発した、多分最初でしょう。
全ての棟が四階建てでエレベータのない階段だけの、突き当たりどうし二軒の、ある意味すごくプライベートが守られる仕様の、S部長宅は三階にあります。

これは2014年、今から12年前ご夫妻で我が家に来ていただいた際の写真です。
八千草薫のファンというS部長が選んだ、しとやかな雰囲気を持つ奥様でした。
Goody勤務時代は、いっとき本当に週に一度ぐらいのペースでお邪魔にあがっていました。
何せ仕事が終わると終電もなかったので、僕が運転手で会社の車で首都高をぶっ飛ばしてS部長宅に寝ぐらを求めたのです。
亡き奥様は浄土真宗ですが、仏前で曹洞宗の毎朝僕があげてるお経を、去年と同じように御霊安らかんことを祈念しながら上げました。
そのあとはS部長のお喋りをずっとずっとずーと聞いてました(笑
S部長は40年以上前に出会った当初から「喋りた倒す営業」として名を馳せていた人だったのですが、まああれから40年、全く変わりません。
逆にすごいことだと思います、今年で84歳を迎えたS部長ですが、昔のことを実によく覚えています。頭髪もやや情けなくなり、良かった姿勢も若干クラウチング気味になり、車の乗り降りの様子も若干スルーモーションになりましたが、これはいってみれば順当な老化。
しかし頭はしっかりしてますね、驚いたと同時に安心しました。
二度目の訪問 えびすや



気を使わせないように晩御飯前にお暇することにしていて、17時前にその旨を伝えると「折角だから飯を食べていこうよ。俺は毎日一人飯なんだから」
その言葉を聞いて自分の配慮不足にショックを受けました。
すぐに「S部長、宜しくお願いします!」と晩御飯のお誘いを受けました。どうもご本人は鰻が食べたかったようで、電話で予約するも満席。
そこであがった第二候補が孤独のグルメでも取り上げられ、その後は予約も取れなくなってしまたとS部長が嘆いていた、えびすや。
なんとS部長らしい、まずは直接行こうと車で三人で向かい、直接準備中の店の中に入って行って、なんと予約をとってきました。

ここの名物がこのニンニクのスープ。
実はこの店過去に家内と僕、S部長夫妻で訪れたことがあり、メインは忘れたのですがこのニンニクスープの味はしっかり覚えていたのです。それほど美味しかったのです。
孤独のグルメでは井之頭五郎もこのスープの絶品さ加減を画面いっぱいで表現していたそうです。



S部長と家内は牛ほほ肉のシチューを、僕はサーロインステーキを注文しました。
家内と少しシェアしたのですが、シチューはよく煮込まれていて口の中で解け、ソースも強いコクがあるわけではなかったのですが、さっぱり美味しい系でした。
サーロインのステーキも国産牛だけあって柔らかかったのっですが、ソースが多すぎでしょう><
肉本来の味を楽しむ塩などの選択肢を全て消される、多過ぎるソースには困りましたが、ソースの味が好みだったので助かりました。


食事の最中も部長の口は、食べ物を放り込むではなく、話が途切れることなく排出されるで、まさに人間口マグロ状態。
「部長、熱いものは熱いうちに」といっても、どこ吹く風。
ただ可哀想だったのは、老化が著しかったのが歯で、上歯が何もなく下だけで噛んでるので、思うように食事が進まないのです。
こういっては失礼ですが、そのお歳からインプラントには疑問符がつきますが、せめて入れ歯を作って、下戸で食べることが生き甲斐と言っていたそれを、今からいいので実現してほしいです。
何せS部長の目標は、親父たるVANの創業者、石津謙介氏より長生きすることがライフワークなんですから。


奥様が存命の頃はこの店の常連だったのでしょう。
ここのママからコーヒーと共に手作りのデザートがサービスされました。
フェリス卒業のママもS部長より若干お若い感じで、久々だったのでしょう、二人で話し込む姿を、僕は目を細めて見ていました。

正直な話、S部長は特に仕事が出来たわけではありません。
特殊な才能を持っていたわけでもありません。
しかしその泰然としてる様は、二十代前半の自分にとって初めて見るキャラクターでした。
直属の部下である自分のミスも、最後は自分が責任を取ると明言し、それを実行してくれました。
退勤時刻を過ぎた頃に往復深夜までかかる出張を命じても、僕が戻るまで会社で一人待っていてくれ、「夜食でも食いに行くか」と慰労してくれました。
たとえ陰で自分の悪口を言われてることを知っても、まるで何事もなかったようにいつも通りに悪口を言った本人と接していました。
そんな姿に人としての器の大きさを感じ学ばせてもらいました。
どうぞこれからもお元気に長生きして、石津の親父さん以上に長生きして、S部長が常々言っている「親父を何一つ超えることができなかったので、せめて寿命で親父を超えたい」を実現してください。































































































































































































































