浅草で寄席

 

 

今月のライブは浅草で寄席

八月のライブは浅草演芸ホールで寄席を楽しむことにしました。
 
四月だったかな?上野鈴本の寄席にbabarinaと二人で出掛けてから、寄席、特に落語の面白さを再認識。
是非とも浅草にも足を向けてみたいと思っていたのです。

寄席といえば鈴本、浅草演芸ホール、そして新宿末廣亭が御三家と思っていたのですが調べてみると、池袋演芸場三越前お江戸日本橋亭半蔵門には国立演芸場があるんですね。

更に驚いたのは涼元のお膝元上野に「お江戸上野広小路亭」というのもあったこと。
堀留の呉服問屋に仕入れに出掛けた後、母に連れていってもらったのがいつも鈴本だったので、よもや上野界隈に鈴本以外があるとは驚きです。

 

 

 

お昼は天丼

寄席はお昼の部。
 
開演は11時からでしたから、演芸場の中で寄席を楽しみながらお弁当という手も勿論ありました。
でも、せっかくの下町浅草美味しい店が軒を連ねる中で弁当といのも味気ない。
ということで下町グルメでランチとしました。

鰻にドジョウ、麦とろに天ぷら、すき焼き。蕎麦の名店に美味い洋食。。。
悩ましいところでしたが、胃もたれを知らない還暦ラテン系は天ぷらを選択。

ここでもいくつかの名店のなかから、まだ暖簾をくぐったことのない、かき揚げ丼が有名な天健を楽しむことに。
ラッキーなことに開店して間もなかったので、並ばずに店内へ。勧められるままにカウンター席に腰をかけて、注文は勿論かき揚げ丼、お椀付。

しばらくして供された蓋が閉まらないかき揚げ丼に、babarinaも思わず「凄いっ!」
具材は大きめに切り揃え荒れた烏賊、帆立、海老などで、噂どうりの薄衣で確かに軽めの揚げ加減です。
丼ツユはやや醤油がきいた辛目のもの、濃い味付けの下町風味です。
ご馳走様でした^ ^

 

 

 

恒例納涼住吉踊り

浅草演芸ホールは今年で40周年を迎えたとか。。。

ということは、僕が二十歳過ぎの頃からあったんですね。ホール内は正に昭和ど真ん中^ ^;;

 

通路、階段幅の座席シートも今のそれと比べると少し小さめの昭和サイズ。

特に寄席を楽しんでいる間の数時間腰をかけてる座席シートは、厚手のビニールでクッションも快適とは縁のない代物で、勢い何度も腰をかけ直す事になりましたが、まあこれも昭和の味を楽しむご愛敬としましょう^ ^;;

 

 

 

運良くこの日の昼の部は、吉例納涼住吉踊と銘打たれていました。

不勉強で住吉踊なるものは知りませんでしたが、あとで調べてみると大阪の住吉大社の田植え踊がルーツとか。そして江戸時代に大道形として全国に広まったとか。

 

まあ吉例とのこと。あまり踊に関心はありませんが、縁起物は嬉しい限り。

 

 

 

ここ浅草演芸ホールでも沢山の落語を楽しむことが出来ました。

落語が主で、途中に講談や紙切り、ものまね、漫才がはいるのですが、どれも流石プロの芸人。皆、大笑いする、ほ〜っと思わず声があがる芸の数々でした。

 

今回の掘り出し物?(笑)は漫才のロケット団、画像左のコンビです。

ボケ役のボケ度合が予想外で、意表を突く笑というか、大笑いさせてくもらいました。

 

鈴本で初お目見え、そのテンポの良い笑でご贔屓になった三遊亭歌之介が浅草でも高座に上りました。

演目が違ったせいなのか、耳慣れしたのか、初見参の鈴本ほどのキレは感じられませんでしたが、それでもやっぱり面白かったですね^ ^

 

それと鈴本でも感心した紙切り

お客様の要望に沿ったものを、その場で作り上げるのですが、なんと今回あがった声が、台風の目0_0

紙切り師の林家二楽も、二度ほど聞き直していました(笑)

 

台風の目めなんてどうやって表現するんだろうと思っていたところ。。。出来た作品が凄い!

突風にたわむ木々、その風に飛ばされないように前傾姿勢で進もうとする人、そしてその先に渦を巻いた台風の目が。

これを下書きもなく、A41枚の紙を切り抜くことで作り上げるんですから、正に神技。

 

 

 

トリを務めた金原亭駒三の落語のあと、芸人全員で大喜利からはじまり住吉踊りを披露してくれました。

 

踊りが専門でもない芸人達のそれは、失礼ながら学芸会での出し物のノリに近かくほのぼのするもの^ ^

それでも皆同じ浴衣姿で笑顔一杯壇上で踊る姿に、暑かった今年の夏もそろそろ終わりが近ずいている思いになり、楽しくもまた少しだけだ感傷的な思いが胸をよぎりました。

 

閉演後は芸人達が浴衣姿のままお客様のお見送り。

楽しい時間を有難うございました^ ^

 

 

 

晩ご飯にはまだ早い時刻、折角なので仲見世を見物しながら浅草寺へ参拝に。

 

途中の六区通には街灯に芸人達の顔写真の看板がありますが、その中の一つ、捕鯨船の前の看板は予約済みになっています。

これは捕鯨船に下積み時代からお世話になっていたビートたけしが、自分があの世にいったら看板を上げて欲しいと、捕鯨船の大将に頼んで予約済になっているとのこと。

なんかいい話、ということで記念にパシャ^ ^

 

それにしても仲見世は観光客の半分、いやそれ以上が外国人^ ^;;

食べ物以外の売っているものも、純和風と言うよりも日本風、いやいや妖しげな日本風かな?(笑)

百貨店やモールでは決してみる事のない、珍しい物を目にしますね。

 

浅草寺を参拝していると、僕達の後ろの若い大学生のグループが

「ここは、パンパンかな?」

「ええ〜、どうなんだろう〜わかんな〜〜い」

 

そこで嵐を呼ぶラテンブラッド昭和の伊達オヤジは振り返って

「ここはお寺さんだからパンパンは要らないよ」

『それと、胸で十字、アーメンもラーメンも不要』

といいたかったのですが、『』はじっと堪えました(笑)

 

 

 

晩御飯は鰻

土用丑の日に鰻を食べなかった今年。

暑過ぎる夏でしたが夏バテも無く元気に過ごせましたが、やはり夏には鰻が欲しいところ。

 

場所は浅草、鰻の名店が揃っています。しかし。。。折角なら野田岩の鰻が食べたい^ ^;;

ということをはなっから考えていて、麻布まで出向かなくても日本橋高島屋でありつける事を確認しておいたんです^ ^

珍しく電車で出掛けたこの日、銀座線一本で日本橋へ、そして高島屋へ。

 

野田岩の鰻は最上階の高島屋特別食堂で食することができました。

ここでは野田岩の他に洋食の帝国ホテル、会席料理の三玄も楽しむことことが出来るようでした。

 

高島屋特別レストランはお盆中の上品なお客様で一杯、着席までに30分は待ちました。

そしてレストラン内は携帯禁止の写真撮影禁止>_< 敷居が高いですね^ ^;;

 

ですから鰻重の画像はネットからの借り物。

普段食べてる店のタレが甘めだからでしょう、少し醬油の味が立った鰻の蒲焼はふっくらで綺麗な顔がしていました。

串打ち三年、割き五年、焼き一生といわれる鰻。各々の名店はその技術を代々伝承して来ているのでしょう、五代目野田岩の鰻は上品ななかにも、しっかりとした味がのった美味しいものでした。

 

御馳走様でした、有難うございました^ ^