Macの画像を整理していたら古い一枚の写真を見つけました。
多分二、三歳頃の僕と八歳年上の姉、そして母の三人です。
僕はこの年の離れた姉からとても大きな影響を受けました。
今思えば流行の最先端を行く「とんでる姉貴」で、離れた年の差故彼女から教えられるものの全てが新鮮で、どこか禁断な香りがしたものでした>_<
あの当時を振り返って「とんでる姉貴」との想い出と彼女の影響を振り返りたいと思います^ ^
洋画
そのお洒落でおませな姉に連れられて初めて見た洋画が「卒業」でした。
1967年にアメリカで制作され、翌1968年に日本で公開されてます。
当時僕は低学年の小学生^ ^;
八歳年上の姉は中学三年生か、高校一年生ぐらい。
主演は云わずと知れた名優ダスティン・ホフマン、そしてキャサリン・ロス。
ストーリーをご存じない方はこちらを参照して頂くとして、この映画では子供ながらに印象的なシーンが三つありました。
その一つは深紅のコンバーチブルのスポーツカーでゴールデンゲイトブリッジを走るシーン…
子供心にもその華麗なフォルムにときめきを覚えました^ ^;
それがアルファロメオ・スパーダーであった事を知るのは勿論大人になってから^ ^;
次なる印象的なこのシーンでは思わず姉の手で目を塞がれてしまいました(笑)
しかし姉の手の指の隙間から微かに見えていた映像は脳裏に焼きついちゃったのです^ ^;
それはキャサリン・ロス扮するエレーンの母親、ミセス・ロビンソンがエレーンの恋人であるベンジャミン、そうダスティン・ホフマンを誘惑するシーン…
おませな姉でもやや興奮状態だったのでしょうか、押さえた指の隙間までは神経が回らなかったようです^ ^;
最後は結婚式の真ただ中に乱入して花嫁エレーンを奪いさるシーンです。
さすがに小学校低学年生徒はいえこの意味するところは漠然とわかりました。
「愛は勇気」と感じたかどうかは今となっては不明(笑)
海外のテレビ番組のお気に入りは「0011ナポレオン・ソロ」でした。
このドラマの中でも右側、イリヤ・クリヤキンにぞっこんだったようです(笑)
折角なのでこのイリヤ役の役者を調べてみました。
デヴィッド・マッカラムというイギリス出身の役者さんだったんですね…
今は御年81歳で品のあるお爺さんになっていました>_<
ファッション
ファッションも勿論ぶっとんでいました>_<
あの頃はレナウンのイエイエガールが全盛だったのでしょう、体にフィットする変則ボーダーのニットをよく着ていたイメージがあります^ ^
そしてこのスタイルで同級生の女友達を自宅に呼んで応接室や奥座敷でモンキーダンスの練習?をしていたのを思い出します^ ^
その際姉以外の年上のお姉様達は僕にお土産でチョコやキャラメルを買ってきてくれましたね^ ^;
僕は何を期待してか?その場に居座り、お姉様達のダンスを見学し恋バナに耳を傾けていました>_<
このプチハーレム状態で今のラテン系の性格の根幹が形成されたと思われます(笑)
時系列でのファッションシーンの前後関係はわかりませんが強烈に覚えているのが純白のマキシドレス>_<
画像ではフローラルプリントですが当時は白一色の綿素材で引きずるようなスカートの裾にはフリルがあしらってあってそれはそれは広いツバの白い帽子を被っていました…
今思うとフォークロア調です。
その姿を見た父の表情を未だに忘れることが出来ません、正に目が点とはあのことを云うのです(笑)
当時としては目立つにもほどがある…
僕もその時の姉貴の姿はテレビに出てくる極々一部の芸能人でしか見たことがなかったように思います>_<
現在の僕の服飾の原点のトラッド…
そこに導いてくれたのも姉でした^ ^
Profileにも記していますが姉からもらった着古した一枚のボタンダウンが僕のファッションの原点IVYです。
そこにあった「VAN」の三文字に僕のハートは首ったけ>_<
姉の装いもどこかボーイッシュで、何しろタータンチェックのアイティムが多かったのを覚えています^ ^
両親はそんな自分の娘をハタハラドキドキ、こんな娘に育てたつもりはない!>_<
っと云いたそうでしたが…
僕にはそのぶっ飛び度合いがあまりにカッコよく自慢の姉貴でした^ ^
音楽
姉貴の音楽シーンで始めに思い出すのはやっぱり「若大将」の加山雄三です^ ^;
沢山のシングル盤を集めていましたね、多分全て持っていたんじゃないでしょうか>_<
この加山雄三はじめ多くのレコードを奏でてくれたのがここで紹介したビクターのステレオでもあった訳です^ ^
僕の記憶ではこのザ・スパイダースの曲に合わせてイエイエルックでモンキーダンスを踊っていたイメージが強いんです^ ^;
バンバンバンやフリフリという曲だったような気がするな〜>_<
この時のツインボーカルの一人、堺正章を今は毎週「チューボーですよ!」で見る事に>_<
姉貴が半狂乱状態に陥ったのはザ・ビートルズの日本公演の時>_<
彼らを不良と断言する父との確執を見た時でもありました…
それと記憶違いかも知れませんが確か抽選でビートルズのメンバーの髪の毛が購入出来たはずなんです、一本当時の金額で二千円…
僕はそれに大量応募をする姉貴の何かのお手伝いをしたような記憶があるのですが…?>_<
料理
お洒落な姉貴からは洋食のマナーまで教わりました。
洋食ではご飯をフォークの背に乗せて食べること、スープは手前を持って前に倒しスプーンも手前から奥に動かしてすくい音を立てずに飲むこと…
こんな事をおかずの種類に関係なく姉貴と僕だけがご飯は洋皿で、お味噌汁もスープ皿にいれてもらいの晩ご飯でした(笑)
ここにも書いてますが僕が料理をするようになった切っ掛けは小学生の時に見よう見まねで一人で作った卵焼きを姉に絶賛されたから^ ^;
僕は褒められて伸びるタイプのようです、昔から(笑)
今料理を趣味と云えるようになったのもスーパーな姉貴のお陰です^ ^
僕の大好きなイタリアンのルーツはと云えば…
これにも姉貴が関わっています。
僕が初めて口にしたパスタ、いやスパゲッティはナポリタン。
これを自宅で作ってくれたのも姉貴だったと記憶しています^ ^;
多分トマトケチャップだけの味付けだったと思いますが当時の僕にとってその美味しさの衝撃は大きく、僕のイタリアンの原点かもしれません>_<
そんなお洒落でおませでぶっ飛んでいた姉貴ももう還暦を過ぎています。
そして彼女は三十代後半から大病を患うようになりました。
何度かの大きな病と戦いながら少しずつ衰えていく体力…
そんな中昨年末に自宅で倒れたのです。
急いで見舞いに行ったのですが命に別状はない様子…
ただ思うように足が動かないとのこと…
今も治療とリハビリを兼ねて入院の身です。
僕に多大な影響を与えてくれ、そして深い愛で接してくれた姉貴に今僕が出来る事は、現実を受け容れつつなるべく多くの時間を共有してあげ、そして想うことと願うことと祈ることです。
下の画像は姉貴とbabarina、chojolyと四人でパークハイアットホテルのニューヨークグリルで食事をした時のもの。
子供は全て男で女の子にご縁がなかった姉貴はchojolyとjijottyを自分の娘のように可愛がってくれました^ ^
姉貴…あなたが快方に向かい自分の足で動けるようになったら一緒に映画に行こうね。
僕が初めて洋画を見に連れて行ってもらった時は姉貴に手を引かれて行ったけど
今度は僕が姉貴の手を引いて連れてってあげるから。