一枚の写真のなかの家

 

屋根は雨を避け
東西の壁は風を遮り
南北の壁は視線を拒否した

囲われた空間に生まれるのは安堵

住まう思いは形に現れ
形は重なり合う想い出を宿す

 

 

 

家 それは想い出の履歴書

 

 

 

 

今回は「住まい」について思うことを書いてみます、僕の好きなカテゴリーです。

 

 

 

現代の著名な建築家と僕の一番好きな建築家の作品を通じて「生活する」「住まう」について今一度考えるきっかけにしたいです。

 

 

サヴォア邸/ル・コルビュジェ

1931年に竣工しパリ郊外に建つサヴォア邸はル・コルビュジェ(以下コルビュジェ)の代表作であり20世紀の住宅建築の最高傑作の一つと評されるものです。

 

それまでの装飾的で重厚な西洋伝統建築とは明らかに違うこの建築手法は

 

ピロティ 

屋上庭園 

自由な平面 

水平連続窓 

自由な立面

 

という近代建築5原則にそって高い完成度で作り上げられた作品です。

 

このサヴォア邸は都市に住むサヴォア氏のウィークエンドハウスとして建てられたものであり、そこに「触れる自然」ではなく「見る自然」との視点からの設計思想を読み取ることができます。

 

僕は小学生の時に読んだ「世界の七不思議」のなかで「バビロンの空中庭園」に関心を持ちました。

それは空に浮かぶ庭園?…

実際は高台に造られた庭園だったのですがその頃から地面以外の場所にある庭がインプットされていたのでしょう。

自宅のルーフバルコニーでささやかながら幼少時代の想いを現実にしようとしているふしがあります(笑)

 

コルビュジェは何故自ら定義した提唱した近代建築5原則に屋上庭園を含めたのでしょうか。

彼にとっても「バビロンの空中庭園」は憧憬の庭園だったのでしょうか。

 

 

 

日本でコルビュジェの設計思想の一端を垣間みることができるのが上野公園内にある「国立西洋美術館

 これはコルビュジェが設計し彼の弟子の前川國男たちが実設計・監理に協力して完成しました。

 

なるほど…

彼の思想が息づいているのがわかります。

 

コルビュジェは建築家ですがその設計思想を椅子にも発揮しています。

下の画像は全て彼がデザインした椅子ですがどこかで見たことがあるでしょう^ ^

 

 

 

 

 

落水荘フランク・ロイド・ライト

これもあまりにも有名ですね、フランク・ロイド・ライト作(以下フランクロイド)の「落水荘」です。

アメリカはペンシルバニア州のミルランと云う山の中に建てられました。

 

依頼主のカフウマンは滝を眺めることが出来る家をオーダーしたのですが、相当もめた結果「滝上に建てられた家」のようになりました。

 

フランクロイドは浮世絵の収集家でもあり葛飾北斎の「諸国瀧廻り 木曽海道小野ノ瀑布」のイメージで設計されたという説があります。

 

どちらにしても落水荘は彼の代表作でありル・コルビュジェとは違った思想でより積極的に自然に溶け込み、自然と共生する住宅を目指したように感じます。

 

 

 

日本で目にすることの出来るフランクロイドの建築物は「自由学園明日館」です。

ル・コルビュジェが椅子を残したようにフランクロイドは照明器具を手がけました。

 

下の画像は全てそうですが特に右端の「タリアセン」シリーズが有名です。

 

 

 

 

 

 

 

ファーンズワース邸/ミース・ファン・デル・ローエ

既に紹介した二人に加えて近代建築の三大巨匠がこのファーンズワース邸を手がけたミース・ファン・デル・ローエ(以下ミース)

 

彼はル・コルビュジェフランク・ロイド・ライトが鉄筋コンクリート造を採用したのに反し鉄骨造でこの家を作り上げました。

そして特筆すべきは外壁を全て硝子にしてしまったこと、正にシースルーの元祖です。

この壁面を硝子で覆う手法の完成系がカーテンウォール。今でも全面ガラス張りのビルはこの手法を用いています。

 

なお外から丸見えのファーンズワース邸では内部中心にバスルームやキッチンを設けたコアが組み込まれている以外、間仕切りのないワンルームで新しい生活の提案をユニバーサル・スペースとして提案しました。

 

「Good in the detail」(神は細部に宿る)

「Less is more」(より少なく語ることはより多く語ること)

は彼の有名な言葉です。

 

 

彼もまた椅子を手がけています。

最も有名なのは1929年のバルセロナ万国博覧会の開会式でスペイン国王を迎えるために作られた「バルセロナチェア」

画像の左端がそれです。

 

 

 

 

 

 

 

ギラルディー邸/ルイス・バラガン作


僕が一番好きな建築家はルイス・バラガン、メキシコの建築家です。

 

白を基調とする簡素で幾何学的なモダニズム建築ですが水面や光を大胆に取り入れた、明るい色の壁面が特徴的な住宅を作りました。

 

僕が持つ感性の方向性としてはミース、建物の思想やそれを表現するギミックとしてはコルビュジェだと思うんです。

バラガンはカーテンウォールに繋がる全面ガラス張りの手法や、ピロティのような構造的なギミックは使っていません。

つまり特段革新的なことはしていないのです。

 

 

 

しかしバラガンの感性に共鳴するんです、僕の感性が。

 

彼は「光」の扱い方が上手い、実に上手い。

 

光は影を作りその二つをもって空間に「表情」を創り出します。

 

しかもバラガンが用いる光は自然光。

 

天気と時間経過に影響されながらその「表情」は常に少しずつ変化していきます。

この光の表情の変化を通して否やが応でも「自然の営み」を感じる訳です。

 

「光と影」は住まう空間に固定化されてない表情を与えてくれます

 

 

 

バラガンは光との付き合い方がとても上手な建築家でした。

 フィックスの窓ガラスの硝子に色を付け、そこを通して入ってくる光に自然な色を付けました。

 

そしてその色のついた光が柔らかく空間を染め上げていったのです。

 色のついた光は天然のグラデーション…時間経過に従いそれは変化し続けます。

 

 

 

小川のせせらぎ、滝壺に向かって水の落ちる音…

人は水音に魅せられます。

 

それは進化の過程でかつてDNAに刻まれた遠い遠い人類の記憶に触れるからなのでしょうか。

 

水音が欲しくて見つけたファウンテン。

 

一般的ですがライオンの口から水が流れ落ちるというものに落ち着きましたが…

 

 

 

そこで海外のsiteのリサーチで見つけた理想的なファウンテン。

 

しかし…購入のネックになったのは100kgを優に超えるその重さ…

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

ご存知 建築家安藤忠雄氏です。

 

彼は独学で建築士試験に合格し二十代で世界放浪の旅に出てインドで「何か」を見つけ、その後は独創的な建築作品を世に送り出しています。

 

下記の文面は彼が2011年5月の家庭画報に寄稿したものです。

「極 限の条件の中で、生活とは何か、住まうとは何かを私なりに徹底的に考え抜きました。そのなかで、自然の一部としてある生活こそが住まいの本質であるという 答えを出したのです。社会が効率性や快適性を求めているときに果たして住宅とは便利さだけでよいのかという問題提起をしました。

 

個人個人が、それぞれの豊かさ、自分自身の価値観を問われる時代です。しかし、何かにつけて摩擦をさけ、他人と同調することを重んじてきた日本人は、自分の価値感を見出せない人が多い。ほとんどの日本人が安くて快適な住まいを求め、今も変わらず3LDKとか、4LDKといった画一化された価値感で住宅を購入しています。

 

住まいは住むための機能美を満たすものであると同時に、生きていくための美意識や、価値観を養っていくためのものです。そこには便利さだけを追い求める住まいにはない豊かさがあると私は考えています。

 

住宅…

 

そこには時々の時代を映し出す快適性や効率性を考えた幾多のアイデアに満たされた便利な空間。

しかしそれ以外に安藤忠雄氏が云うように「生きていくための美意識や、価値観を養っていくためのもの」でもあります。

 

それがインテリアの志向であったり、レイアウトでの表現であったり、価値あると思える事へのこだわりとなって現れるのでしょう。

 

ですからインテリアの志向やレイアウトを見る事で、その家のオーナー、ご家族の美意識や価値観を垣間みる事が出来ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局僕は…

 

「濃い透明感」という何とも理解しづらいテーマを住まうことにも求めていると思う。

 

それはバラガンの作品のように

シンプルだけどシャープじゃない。

云ってみればそれは直線のような曲線のよう。

 

色彩的だけどカラフルじゃない。

云ってみればそれは離れてみるスーラの絵画のよう。

 

光と水を融和させてその先に自然の持つ柔らかなあたたかみを、息づかいを感じさせる。

 

 

願わくば自ら創り出すものも、醸し出すものも、生き方もそうありたいものです。