法要と偲ぶ会

 

 

4月10日 日曜日に母の21回忌、父の11回忌の法要と偲ぶ会を行いました。

母の命日は4月20日、父は3月27日でこの間30日もありませんし、母が亡くなって10年後に父がその生涯を終えました。

 

父の葬儀が終わって四十九日の法要の時だったと記憶していますが、和尚様からこんなことを云われました。

「亡き御父母の命日が一ヶ月以内で丁度十年違いというのは節目になる法要が同じ年で、しかも命日が近いから一緒に執り行える...本当に子供孝行なご両親でしたね」

 

 

我が家は代々曹洞宗です。

ですから亡き父母も曹洞宗の総本山 福井県永平寺に分骨して永代供養していただいています。

 

仏教では宗派によって多少の差異はありますが節目になる法要があります。

それは一、三、七、十三、十七、二十三、二十七、三十三、三十七、五十で、五十回忌を別名「弔い上げ」と云い一般的にはこれでおしまいとなるようです。

余談ですが何故五十回目かと云いますと罪人でも五十回忌を過ぎると仏になると云われているからとか...

 

ちなみにとても幼くして亡くなった僕の兄と姉の五十回忌法要を数年前に執り行いました。

 

 

 

七回忌目以降は節目の法要以外、家族が自宅に集って仏壇の前で僕の読経のもと焼香するのが常となっています。

今回もそのようにして法要を執り行いました。

 

昨年までと違ったのはchojplyの伴侶、つまり義理の息子が加わったことです。

我が家の法事にも娘とともに出向いてくれることはうれしい限りで、長めの読経の際も足を崩すことなく我慢して正座を通していた姿に、亡き父母も目が細まったんじゃないかなと思いました^ ^

 

自宅での不要が終わってから何かの際には利用させていただいているお気に入りの料亭に移動して父母の偲ぶ会をしました。

 

 

 

先付けは百合根を使った味わい深い一皿でした。

季節感満載の八寸は特にアサリの蕗味噌和えが全品でしたし熟鮓も珍味でした。

 

輪島塗の上品な器で供された椀物は出汁の良し悪し、つまりその料亭の力量が問われますがもう絶品。お代わりしたかったです>_<

お造りでの特筆は平目で昆布締めされた味わいの深さも印象的でしたね。昆布締めなどの一手間で魚は味と風味が変わりますが、締めすぎない刺身感をしっかり残した職人技に感服しました。

 

 

 

西京焼きが多かった焼き物も今回は鰆の山椒焼き。どんな下処理をしてるのでしょう、実に味わい深いものでした。

煮物はこの季節ならではの筍と菜の花、そして穴子を大根の桂剥きで巻いたものをとても上品な出汁で煮付けた一品。

 

揚げ物の火の通りはまさに職人技。車海老は芯だけが生で忘れられない食感でした。豆腐専用の木の芽のソースも是非レシピを教えて欲しい味と風味...和食は奥が深いですね。

雲丹を纏った平貝の酢のネタはなんと新玉ねぎ!

ほんのり桜色の摩り下ろした新玉ねぎの上品な甘酸っぱさと平貝と雲丹のハーモニーも言葉を失いそうな美味しさ。

 

 

 

 

ご飯と止め椀、香の物は選択ができます。

今回は筍ご飯と鯛めし、あと麺もので稲庭うどんがありましたが迷わず鯛めしを^ ^

 

いつものことながらここの鯛めしは絶品です。香の物もいい味ですが特に柴漬けがいい感じです。個人的に柴漬けはあまり好きな部類に入りませんが、ここのそれは例外。自家製なのか、はたまた京都のニシダやあたりのをつかているのか何しろ箸が進みます。

 

水菓子は道明寺を使った甘味モノとイチゴでした。

本来会席料理はお酒を美味しく飲むためのお料理。ですから食後の満足感へのプラスアルファとしての位置付けですから、西洋料理のデザートのようにパテシエを使ってより印象度を強くするお皿とは少々意味合いが違うという話を聞いたことがあります。

 

 

 

 

かつて定期的に禅寺で座禅をしていた際の和尚様の講話の中で供養とは何かということを教えていただきました。

「誠を尽くすこと」それが供養であるということ...

 

では誠を尽くすとはどういうことかというと「忘れないこと」

 

ですから節目の法要で故人を偲ぶことは大切です。

でも一番は日々故人を忘れず毎日一度は仏前で手をあわせることの連続が何よりでしょう。

 

いつまでも故人の魂と共に生きるということは忘れないでいたいものです。