これはネットワークとエチケットを組み合わせた造語で、インターネットの仮想世界でのエチケットについてです。
おのずと連想されるようにネットでのマナーについてです。
仮想世界は互いに顔の見えない、ないしは見えにくい世界です。
その分実は現実世界以上にマナーを守る意識がないととんでもないことが起きることは容易に想像がつくでしょう。
「人の噂は千里を走る」というのは現実でも仮想世界でも同じ。
ただ仮想世界で起きたことはネットワークを利用することによって現実世界以上の速さで広がる傾向があります。
それは何かというとコピー&ペーストができるから。
ネット上に公開されたプライバシー侵害や誹謗中傷にネットいじめは、それを記されたURLを知らせるだけでその「現場」にたやすく行くことが出来ます。
現実世界での起きたことは言い伝えられたこと、つまり「現場」ではありません。
現実世界でも仮想世界でも「真相」はさておき、一方的な誹謗中傷やプライバシー侵害の事実としての「現場」や「噂」だけが一人歩きします。
悲しいかなこんな言葉がそれを助長するのでしょう、「他人の不幸は蜜の味」
僕が読者になっている理系で切れ味の鋭い投稿をするブロガーさんの記事にこんなことが書かれいました。
それはいじめについてですが要約するとこうです、いじめ(誹謗中傷と一部暴力行為)とは誰かを悪人に仕立て上げて快感を得る行為。
つまり相手を貶めてそれを第三者にも認識させ相対的な優越感を得る行為ともいえるでしょう。
いじめとは誹謗中傷による名誉毀損や侮辱です。
その方法としてプライバシーの侵害や事実の捏造、または事実の拡大解釈や歪曲を拡散させ、時にそれがエスカレートして暴力が行われるのです。
では何故そうしなければいけないのか…
理由は様々でしょうがなんらの感情のもつれや優越感を得るため、利害に関わることもあるでしょうし、自己の不利益や事実を隠蔽するためというのもあるようです。
特に仮想世界では打ち込まれたテキスト、そう「文字」だけが「事実」とされます。
繋がる手段が「文字」な訳ですから、現実世界のように会話をしている時の表情や仕草、テンポよく交わされる会話のその間合いや内容の整合性をうかがい知ることができません。
この「文字」でのコミュニケーションでは打ち込まれたテキストの羅列が「事実」であり、その真相を考えることは少なく「テキスト=事実=真実真相」となってしまうのが現実でしょう。
さてと…
仮に仮想世界でこのような誹謗中傷やいじめが我が身に起きたらどのように対処すべきでしょう。
色々な対応が考えられます。
正義感と勇気を持ってその誹謗中傷に敢然と立ち向かう。
所詮利害対立か感情の縺れからくる一方的な言いがかりと柳に風と受け流し悠然と何もしない。
煩わしいことに巻き込まれないために仮想世界だからできる輪廻転生でそのバーチャルな人格と決別する。
かつてインターネットで繋がることを仕掛ける側にいた自分は、運営側としてこの手のトラブルを冷えた目で見ていた時期があります。
それを踏まえて今の自分なら… 柳に風と受け流すか輪廻転生を選んだでしょう。
人は思いの奴隷ともいわれます。
洒洒落落な心持ちになるにはこだわりを捨てること…少し消極的かもしれませんが輪廻転生で仮想世界に今一度生まれ変わるのも悪くないのでは?と感じました。
人の世において出会いは別れの予告… 始まりには必ず終わりがありますから。
君子危うきに近寄らず(笑)
いや、むしろ積極的かもしれませんね、融通無碍、洒洒落落という見地からみると。