親友

 

 

思えばやんちゃだった

親友の定義、僕の解釈は

「犯罪を犯したとして罪を許すことはできなくても、そこに至らなければならなかった身の上と心情を慮れる間柄」

学生時代の親友?悪友?とはいくつになっても見えない糸で結ばれた固い絆を感じることがあります。

 

時代が時代でしたから許される?時効となることは数え切れません。

 

上階から滑り降りてまで女子更衣室を覗こうとした輩、上履きに鏡を仕込んでスカートの中を覗こうとした不届き者、他人の弁当箱の蓋を開けておならをしてすぐに閉め何食わぬ顔をしていた悪童、自分の部屋でタバコを吸っていたら階段を上がる足音に驚き火のついたタバコを引出しにしまいボヤ騒ぎを起こした大バカ野郎、渡り廊下の扉が開いていると勘違いして全身でガラスに突っ込んでいった猛者‥

 

高校時代ですらこれ。

 

大学になると未成年なのに半分大人なので多少の思慮は芽生えるものの行動範囲と規模が大きくなり、なかなかテキストにして残すには勇気のいる暴挙が多々ありました。

 

でも、これら一連は全て単独犯じゃない(笑)

共犯もいれば見張り役、発案者もいる。つまり良いことも悪いことも僕の親友に云わせると「芋づる式」な仲ということらしです。

 

これが男友達、親友、悪友、仲間。

 

 

 

 

 

街アイ目指してお洒落

僕が中学、高校、大学時代にその発売日を心待ちにしていた月刊誌、それがメンズクラブ。

通称メンクラのこの雑誌には今でいう読者モデルを掲載する「街のアイビーリーガー」通称街アイというコーナーがあり、毎月次回の撮影場所を予告してくれました。

 

それに合わせて僕と親友のKやSは紺ブレを着てレジメンタルのタイを締め、リーガルのペニローファーを履いてVANの紙袋を小脇に抱えて街アイに掲載されるべく撮影地に通ったものです。

 

特にKは腹心の友で若い頃は正に彼と僕の行動は「芋ずる式人生」(笑)

沢山の喜怒哀楽をともにしてきました。

 

 

 

 

 

インテグラごっこ

ホンダのインテグラという、当時はスペシャリティカーの分野だったのかな?という車があって何しろCMがふるってたんです。

何故か男同士が車に乗ってるこのCM、妙にクールで僕とKはハマりました^ ^;;

 

そこでCMと同じ出で立ちで二人黒のサングラスをかけて車で出かけては、あえて道を尋ねたたり道行く人にそっと話しかけたりしてインテグラごっこを楽しでいました^ ^

まあ尋ねたり話しかける相手がもれなく女の子だったので‥今風に言えばナ◯パということになるでしょうか^ ^;;

(今風じゃなくてもそうでしたね>_< まあ遠い遠い昔の話です)

 

 

 

 

 

草野球チーム

Kとはタイプの違った親友がT

Tはなかなかの苦労人だったんですが常に「オチ」のつくやつでした。

オチは最後の最後で(笑)

 

Tが作った野球サークルと対戦するために僕たちもチームを作りましたが、練習試合?それとも本番?まあどちらにしろよく多摩川ジャイアンツ2軍球場で試合をしたものです。

 

この試合、実は側面がありまして彼女とのデートの場(笑)

試合のある彼氏のために彼女さんたちがお弁当をつくて応援に来るのですが、ここでモテ男とそれ以外に明確に色分けされました。

 

毎回とは云いいませんが何回かで応援に来る彼女が変わる色男ならぬエロ男。

彼女?妹?知り合い?それとも無関係な人?と関係が不明な女の子が応援に来る妙な輩。

 

でも親友のTは彫りの深いなかなかのイケメンにもかかわらず一度も彼一人を応援に来る女の子はいませんでした。

僕? 想像にお任せします(笑)

 

 

 

 

 

熟年再婚

こと男性に多いような気がしますが社会に出てしまと仕事関係、仕事がらみの人間関係が多くなり学生時代の友人とは疎遠になりやすいように感じます。

同窓会や同期会も決して定期的じゃない。となると、かつての親友とも仕事がらみか住んでいる場所の立地が近くないとそうそう会う機会が少なくなるのが実情でしょう。

 

僕もあれほど仲の良かった親友たちとも社会に出ると同じ業界や仕事繋がりはいないし、相手によっては仕事の関係で首都圏以外に生活の場を構える場合もあり、会う機会が少なくなっていきました。

 

それでもいいところは過去の「芋づる式」の思い出でしょうか、不意に連絡があっても彼らとは今の職業、職種、立場を超えて瞬時に「あの頃」に戻れます。

 

Tは現在首都圏から離れた地で地方公務員になっていますが彼からそのメール連絡があったのが三年前ほどかな‥

「心配かけたけど正式に離婚した」

 

大学時代から知っている彼女と結婚しその後も比較的会う機会に恵まれたT夫婦のことなので、夫婦間のもつれも知っていました。

ただ互いに四十代後半の仕事も社会的責任も大きくなってからは会う機会も少なくなっていました。

 

そして去年の秋口、またメールが来ました。

「色々あったけど再婚した」

 

直接Tの口からではないにしても風の便りで十五歳ほど若い女性と付き合っている話を耳にしていました。その女性と再婚したようです。

 

 

 

 

 

奴らしいな‥

すぐに現金書留めでメッセージを添えて結婚祝いを送りました。

その数週間後、彼から宅配で荷物が届き開けてみるとお返しの品。深紅のパッケージに包まれているそれは開けなくともわかるバカラ製品。

 

見た瞬間にbabarinaと二人で「Tらしいね^ ^」

若い頃からライフスタイルなどのある部分に結構な美意識とこだわりを持っていた僕を、ある意味一番知っていて影響も受けたのがT。

その彼が僕のための最高のマッチングで考えたのがバカラ、そして全くもっての大正解^ ^

 

「濃い透明感」がテーマでガラス製品に目がなくって華美な装飾が嫌い‥

やっぱり腹心の友は以心伝心、わかってるよねと云う感じでした。

 

彼の僕への返事にはこう書かれてました。

「自分の人生自分持ち‥リハーサルなし‥で生きてるよ」

 

今年中に会いに行くぞ、ちゃんとカミさんを紹介しろよ。何しろお前さんは僕達仲間内中年の鏡、十五歳も若い女の子をものにしたんだから(笑)

 

 

 

 

 

 

最出世株

もう一方の親友のT。

苦学生だった彼には沢山の「オチ」付きの物語があります。

 

苦学生でアルバイトに明け暮れていた彼は、ピンポン球を製造する会社でアルバイトをしていた時は突然会社が倒産し、それまでの給与が現物支給となり仲間にピンポン球を売り歩いたり、一枚5円でポトスの葉っぱを拭き掃除するアルバイトに就いてみたり、まあ普通の人はなかなか経験しないようなことが多かった親友。

 

で大きな「オチ」は、決して冴えてたとは言い難い彼、結婚した相手が自分の野球チームの女子マネージャーでチーム内の男達全員が狙っていたと云っても過言じゃないマドンナ、〇〇ちゃんだったのです。

 

彼らの結婚式は当時としては珍しいレストランウエディング、この新郎新婦も動きようのない席でお色直し無しの結婚式を盛り上げれるのは僕しかいないとTと〇〇ちゃんに頭を下げられて引受けた司会。

苦肉の策で異例中の異例で新郎新婦に代わって司会者お色直しを敢行し会場が大盛り上がりになったのも懐かしい思い出です。

 

そして彼女、〇〇ちゃんが比類なきアゲマンだったのか、時代の流れでたまたまそうなったのか、能ある鷹が爪を出したのか、最大の「オチ」が、あのTがああろうことか売上高六千億円超の誰しも知ってる超有名企業のトップ、そう代表取締役に就任したことです。

 

 

 

 

 

奴らしいな‥

多忙を極めてるであろうTを慮ってお祝いのメッセージだけにしておいた僕。

まあ時間ができたら奴から連絡が来るだろうと考えてました。

 

そしたら、年の瀬の丁度家族で恒例の恵比寿ガーデンプレイスバカラのシャンデリアを見ていた時僕のケータイが鳴りました。

見てみると発信者はTです。

 

「もしもし」

「よう、久しぶり、元気」

「ああ、そっちこそ大忙しで大変だろう」

「まあね、ところで明日は仕事?」

 

こいつ代表取締役になって月曜日は一般的に洋の東西思想宗教を超えて勤労日であることを忘れたな(笑)

「もちろん、仕事だけど?」

「時間の都合つかないかな?」

 

と云われたら普通のサラリーマンは誰だってアフター5だと思うのは世間の常識(笑)

「19時以降ならなんとかできると思うけど」

「いやいや、日中だよ日中」

「はいっ!?いくらなんでも急すぎるそりゃ無理でしょ」

「だよね、だよね、ごめん、ごめん」

「またなんで急に日中な訳?」

「たまたまスケジュールが空いたから仕事なしで親友とゴルフしたかった訳よ」

 

聞いていて思わず笑みがこぼれてしまいました、学生時代と何も変わってないなって、奴らしいなって。

あまり周りを考えないけど悪気はないからすぐに意見を引っ込める(笑)

ホント変わってないよ、あの頃のまま。それで上場企業のトップが務まるのってこっちが心配するほど変わってないよ。

 

 

 

 

 

それぞれの道

あの頃の仲間達。

 

冴えてるとは言いかねた苦学生から知らぬ間に有名上場企業のトップに立ったT、イケメンでスポーツ万能でクリアな頭脳をもち熟年離婚再婚を経験した地方公務員のK、都内の一等地に土地付き家屋付き公務員の美人妻付きの家に苗字を変えることなく婿入りした究極の逆玉男と呼ばれてるS‥

 

他に沢山いますが僕達の共通点は人生で一番多感な時期を夢を語りながら子供から大人へと成長してく時間を共有したこと。

 

僕も入れて四人が四人ともあの頃語った、イメージした、夢見たとは全く違う現在の姿だと思う。

でもそれでいい。

人生のゴールは各々違うしともに走った、すぐ隣にあったトラックも社会に出るといつの間にやら離れてく。

 

大切なことは社会に出るまでの数年間は皆同じ方向、同じ幅、同じ起伏のトラックを走ったこと。

互いの光る汗を見つめあった、苦しくて咳き込む姿にすぐ横で頑張れと声をかけた、肘が当たった当たらないで掴み合いの喧嘩になりそうになった、可愛い女子に全員で声をかけた、急な坂を登りきった時全員でジャンプしてハイタッチした。

 

それが人生で最高の思い出の一つ、色あせない忘れるこのない「芋ずる式」の思い出。