待望の
ユーミンのコンサート、50th Anniversary
松任谷由実コンサートツアー The Journeyへ行ってきました。
翳りゆく部屋
少年時代野球をやっていて中学でも野球部に入るはずが、予想もしない展開から音符すら読めないのに吹奏楽部に入れられてしまった僕。
入れられたからには花形がいいと、何とかトランペット担当になり、高校時代も吹奏楽部に籍をおいていました。
そんな高校時代、夕暮れ時の音楽室から流れてきたピアノの音と歌声。
一瞬時間が止まったように、その音に吸い込まれました。まるで切り絵を見てるようになったあの時の感覚を今でも覚えています。
少し興奮して音楽室の扉を開けて尋ねました「それ、なんて曲?誰が歌ってるの?」
「荒井由実の翳りゆく部屋よ」
答えてくれたのは同学年の同じ吹奏楽部でクラリネットを担当していた、理系女クレバーな〇〇由紀子さんでした。
そのままレコード店に走り、荒井由実のアルバムを探したら、ひこうき雲とミスリムを見つけました。そのどちらにも翳りゆく部屋というタイトルを見つけることが出来ず、直感で荒井由実本人と思しき人がグランドピアノとともに写ってる、白黒のクールなほうのアルバム、ミスリムを手に入れました。
それが僕とユーミンの出会いでした。
1977年の出来事だったと思います。
ミスリムは擦り切れるほど聞きこみました。
すべての曲がお気に入り甲乙つけがたいのですが、「生まれた街で」「海を見ていた午後」「旅立つ秋」「瞳を閉じて」かな、強いて言えば推しは。
その中でも山手のドルフィンが出てくる「海を見ていた午後」がMy best in Mislimでしょう。
ソーダ水の中を貨物船が通る 小さな泡も恋のように消えていった
紙ナプキンにはインクが滲むから 忘れないでってやっと書いた遠いあの日
この詩を見るだけで、青春の一ページが微かな心の動きとともに蘇り、じんわりと体に染み渡りながら、静かでも強い波になって体の中から抜けfて行くとき、一瞬思い出のシーンが映像となって目の前に現れます。
ユーミンの生家は八王子の荒井呉服店です。
彼女のエッセイ「ルージュの伝言」を読むと、同じ呉服屋に生を受けた僕が、そうそうとうなずくエピソードが沢山ありました。
今で死語となった住み込みの従業員にまつわる話や、商売人の両親の話など理解できる部分が多かったです。
そんな似たような環境で育ったことも少なからず影響しているのでしょうか、ユーミンの詩には何か一つ深いところで共鳴するものがあるような気がします。
2023年 9月28日
コンサートや寄席もそうですが、夜のイベントは概ね18:30開演です。
そこで困るのが晩御飯。いつも食べる晩御飯の時間帯はイベントの真っ最中です。
ということで、夜のイベントに出かけるときは、早めの晩御飯にします。
今回選んだのは「つじ半」
まるで江戸前寿司の高級店のような、すっきりとしたカウンター席のみの店内。
つじ半でいただけるのは海鮮丼です。
最初に鯛の刺身が供されますが、刺身として食べてもいいのですが、これは最後の鯛茶漬け用に残しておきます。
家内は刺身として美味しい!と食べていましたけどね(笑
極上の海鮮丼として食べ進んで、海鮮の具材が心もとなくなってきたら、そこに鯛出汁をいれてもらいます。その際にご飯の追加も出来ます。
この鯛出汁が注がれた丼に、鯛に添えられたゴマダレをつけながら浸し、半生で食べる鯛茶漬けも絶品なのです。
つじ半というのはラーメン業界の風雲児
つじ田の社長と、
江戸前天ぷらの金子半之助の社長という幼馴染がタッグを組んで出した海鮮丼専門店。
つじ半はどこも行列必死なのですが、お昼の時間帯を除くと、ここ
アークヒルズのお店は並ぶこともなく入店できるので、なかなかの穴場なのです。
それにここから武道館の最寄り駅の九段下までも、電車で15分強で行けちゃいますから。
The Journey
九段下からは北の丸を抜けて武道館に向かう、つまりユーミンのコンサート目指す人、人、人。
人波に流されてたどり着いた武道館の前では、記念撮影のラッシュ。
ゆっくり構図を考えてる時間などなく、とにかく記念の一枚をでパシャ!
武道館の中に入り少し落ち着いて、ポスターの前で写真を撮ることが出来ました。
チケプラアプリで席が配信されたのが当日のお昼過ぎで、僕たちは1階北東スタンドG列の17と18でした。
撮影禁止の中、開演前だから許してね!と勝手解釈で撮った写真がこれ。今回は海賊船が舞台のようでしたが、周りを見たら堂々と写真を撮っていてどころか、きっちり動画を映している度胸のある輩までいました。
アルバムも発売されるようですね。
今回のテーマは、ある船乗りの日誌ということで、まるでパイレーツオブカリビアンのような帆船がステージの中央に鎮座してました。
まず、この仕掛け自体が音楽ライブのそれじゃないことは説明不要です。劇団四季の出し物のような仕掛けに驚かされます。
そして会場を一瞬にして異空間化するレイザー使いに、斬新すぎる円形の筒に投影されたプロジェクションマッピングの中で歌うユーミン、明らかに紐での操作と思えない空飛ぶクジラなど、嘘か誠か誠か嘘かと我が目を疑う演出は、まるでteam Labの作品のようでした。
歳のわりにITやデジタルには明るい僕も驚くような演出でした。
火を噴くドラゴンも度肝を抜いてくれましたが、船上で繰り広げられたダンサーの、命綱もなくロープを使った曲芸の数々は、まさしく今年見た
シルクドソレイユのそれ。
これにも驚かされました。
1.心のまま
2.WANDERERS
3.リフレインが叫んでる
4.ただわけもなく
5. 満月のフォーチュン
6.TYPHOON
7.青いエアメイル
9.あの日にかえりたい
一曲目の心のままからスタンディングでノリノリの観客もいましたが、僕はあの日に帰りたいのイントロの「らーららら」が流れてきた段階で、一気に感情マックス!
思わず家内と二人で
ユーミンに合わせて口ずさんでいました。
青春の後姿を 人はみな忘れてしまう
あの頃の私に戻って あなたに逢いたい
10.さまよいの果て波は寄せる
11.セイレーン
12. Blue Planet
13. Delphine
14. LOVE WARS
15. Now Is On
16. 星空の誘惑
17.埠頭を渡る風
ユーミンらしい統一感を感じるアルバムの流線形80からの埠頭を渡る風。やはりこれはメジャーなのでしょうね、ここで一気に立ち上がり手拍子をする人が増えました。
僕は気分は立ち上がりたいのですが、どうしても後ろの人の視界を遮るので躊躇しちゃいます。
ただ後ろも立ってる場合はこの限りじゃないんですけどね。
そしてその限りじゃないのが訪れたのは、その直後でした。
後ろに陣取るお姉さまたち(といっても僕と誤差5歳以内と見た)がスタンディング状態。こうなると僕も立ち上がり、それまでため込んでいたパッションも開放して、
ダンシングヒーロー状態になりました^ ^;;
19.航海日誌
-ENCORE-
20.守ってあげたい
アンコールで聴くことが出来ました、僕が
ユーミンに地球外生命体の疑いをかけた歌詞の曲です。
今でもこの「
やさしさに包まれたなら 」を聴くと、記憶の奥底のそのさらに底。画像でも音声でも映像でもないけど、何か共鳴するかすかな、でも芯の強い感覚を感じるのです。
きっと 目に映るすべてのことは メッセージ
その新しいアレンジでの曲は「
ユーミンブランド」に収録されています。
ニューアレンジは実によく曲想をつかまえていて、素晴らしい出来になっています。このアレンジで聴くと、この曲が宇宙の何かが地球の知的生命体に何かを伝えるために降ってきたような感覚に陥ることでしょう。誤解を恐れずにいえば、まるで量子の世界のような。
22.心のまま
23.春よ、来い
-W.ENCORE-
24.瞳を閉じて
瞳を閉じて
この曲は瀬戸内海の島のとある中学生の願い、卒業して島を出ていく卒業生への送る歌としてでき、その学校の校歌になっていると認識していました。
ただ調べてみたら、瀬戸内海ではなく
五島列島であり、中学ではなく高校で、校歌ではなく愛
唱歌でした。
ディテールは違っていても大筋に間違いはなかったこの歌を、
ユーミンはアンコールの最後に選んでいます。
そして歌う前のメッセージで、この歳になると二度と会えない人が、一人また一人と増えていきます。そんな会えなくなった人にまで届くように歌いますといいました。
感じるもの多し。
僕が
ユーミン凄い!と姉に興奮して話したら「
五輪真弓の亜流じゃない」と一刀両断した姉貴。
でも僕は音楽性が全然違うと感じてたので、珍しく姉貴の影響を受けませんでした。
その後、強がりの姉は僕には言いませんでしたが、かなり強めの
ユーミンファンになっていたようです、甥から聞きました。
僕自身のため、そしてお姉ちゃんの名代でコンサート楽しんできたよ。
END
あの日に帰りたい
今のようにダイバシティ、多様性が認められる重んじられる時代ではなかったと思います、昭和50年前後は。
ファッションもIVYかヨーロピアンかみたいな二択程度のもので、僕はそのころIVYトラッドに狂ってました(笑
将来の夢は家業の呉服店を継ぐことではなく、VANジャケットに入社することでした。
中学生の時に姉貴から教えられたVAN&IVY。身に着けるものはトランクスまでVANだった記憶があります。そして、そこからの派生で出てきたトラッドのストアブランド。
その筆頭がボートハウスで、シップス、ビームス、クルーズのロゴ入りトレーナーは、持っていなければいけないものでした。
メンズクラブ、通称メンクラは中学生のころから定期購入し、高校になると女性誌のJJまで読み、ハマトラの勉強をしていました。
ハマトラの必須アイティムはミハマのシューズ、フクゾーのポロシャツ、キタムラのバックだったと思います。
当時の彼女にはストアブランドのお揃いのトレーナー以外に、フクゾーのポロシャツもプレゼントしていました。
袖口のボタンの数から、社会人一、二年生の頃のIVYを卒業してブリ
ティッシュトラッドに陶酔していた頃の写真と思われます。
白のオックスフォードの
ボタンダウンシャツに、ネクタイは
ジャガードウールの正面から見るとカタカナの「ノ」に見えるイギリス仕様のレジメンタイ。
ジャケットはシングルなのに深いサイドベンツのネイビーブレザー。トラウザース(当時はパンツをこう呼んでいました)はインのツータックの
フランネルで、足元はオイルドレザーのクラークスの
チャッカブーツのように見えます。
右手首にはクラッシックのスクエアータンクの腕時計、左手薬指には僕の母校のカッレジリングが見てとれます。
あれから四十年
人生に思い描く未来はあっても、シナリオはないことを痛感し、諦観しているのが今なのかな。諦めるとは明らかにすることでもあるのです。
この世に生を受けてから、人は誰しも寿命という名の余生を歩みます。その寿命の砂時計も物理的に残りが少なくなってきました。
そんな今だから、それが決してできないことがわかっているからこその、「あの日に帰りたい」
両親をあの世に送り出すとき痛切に感じました、人は一人で生まれ、老い、病み、一人で死んでいく、何一つ持たずに。
仮に、仮に何かを持ってあの世に旅立つことができるとするならば、それは多分思い出という記憶。
だからこそ「あの日に帰りたい」その思い出を大切にしたい。
ユーミン、ありがとう。僕の青春の、いや人生の思い出の数ページはあなたの詩とともにあります。