シルバーウィークの最中に「アンフェア the END」を家内と一緒に観てきました。
特に邦画が好きとか篠原涼子のファンということではなかったのですが、たまたま前作もスクリーンで観ていて、その前作がテレビで放映されたこともあり興味が湧いてのことです。
前作のどんでん返しから、今回も主演の篠原涼子に一番近い人間が主犯だろうと予想はついていたのですが、その間の心の動きの機微が気になりました。
主犯がわかった時彼が言い放ったセリフが心に残りました。
「あなたは最後まで人を信じる。それがあなたの弱さだ」
この言葉がまるで溶けることのない沈殿物のように心の奥底に残ったのにはそれなりの訳があります。
今までのブログのアドレスを捨ててここに越してきた訳の一つでもある、今の心理状態への問いかけのように感じたからです。
決して愉快なことではないので書くことをためらっていましたが、このブログは自分史としての終の住処。
洒々落々の境地には程遠いですが、素直な心の動きと出来事を書くことも自分史には必要です。
つまり約半数近くの人はネットとリアルで人格を使い分けているという調査結果です。
さらにこう続きます。
>携帯端末のスマートフォン、タブレットを使い、インターネットを通じてブログやツイッターなどへ投稿した人の4>人に1人が、他人や企業の悪口などの「悪意のある投稿」をした経験のあることが17日、独立行政法人情報処理推進>機構(IPA)のネット利用者の意識調査で分かった。
>調査は昨年10月にネット上で匿名で実施。携帯端末の利用者3500人のうち投稿経験があるとしたのは1850人。 >「他人や企業の悪口」「下品な言葉を含む」「さげすんだり、けなしたり」「人格を否定」など、IPAが例示した >14種類の悪意のある投稿をしたことがあるとした人は、そのうちの26.9%に上り、前年から3.4ポイント増えた。
A
\>珍しい方がお越しになっているという事で
\>イジメ…いえいえ冷やかし?!に
\>来たわよぉ~っ( ๑•◡ુ•๑)
2015/8/23
\>お手柔らかに……って
\>ご冗談でしょっ!
\>普段、私はほとんど怒ることはないけれど
\>怒らせると冷酷にもなれるのっ( ̄+ー ̄)
\>最低男には自ら地雷を踏んで頂くわ!!
2015/8/23
B
\>私、昆虫って好き♡
\>というよりも生態を知るのが好き(笑)
\>美しく光る繊細な糸に
\>それ以上に美しい蝶がかかる・・・
\>蜘蛛は慌てずゆっくりと蝶に近づく…
\>それもまた生きる為だけれど。
\>生態系を壊してはいけないと思いつつ
\>助けてあげたくなるわ(^^ゞ
\>稀に蜘蛛の糸から脱出できた蝶もいる。
\>だからと言って蝶は決して蜘蛛に
\>逆襲などしない・・・
\>そんな事するのは人間位のものねっ(笑)
\>人間の生態・・・コワイわ~❣
2015/8/28
Aという嫌味のきつい冷酷非情な人格と、Bという仏のような慈悲に溢れる人格の対比。
仮想世界には様々な人格が存在します、という例… ではなく…
このAとBは同一人物です。
正確に読み解くと
\>そんな事するのは人間位のものねっ(笑)
\>人間の生態・・・コワイわ~❣
は、一言も発言者自身ではないとはいっていません。ただ読み手が勝手に発言者ではないと思い込んでるだけ…
その方法はなかなか計画的で緻密、しかも法律を知っているのか自からは直接人権侵害や名誉既存に抵触しないような方法を用心深く選んでいるようです。
手始めに僕との共通の知り合い、特に僕が懇意にしているネット上の友人にSNSやブログのコメントを使って近づき、親しくなってから鰹の一本釣りのように 個人にDMやメッセージを使って僕を名指し、まことしやかな噂を伝えてバッシングし、その後不特定多数の目に触れることのできるSNSに戻ってきて誹謗中傷の続きをしています。
そしてこの人自身は決して僕のハンドルネームを言わずに、暗示して相手から引き出そうとしている節が文面から読み取れます。
会話を誘導して漠然と僕をイメージさせるようなことを暗示しながら相手の興味を引き出し、思わせぶりで会話を打ち切り本人から僕のハンドルネームをいうことはありません。
僕は現在の職位から企業の法律問題への対応もしなければならなかったので、法的なことについてそれなりの知識はありますし、現に法廷闘争を担当したこともあります。
名誉毀損とは事実であっても事実無根であっても罪として成立しますし、侮辱は発せられた言葉自体が罪として問われます。
これは、つまり犯罪です。
僕の場合、単にハンドルネームから本人を特定することはできないでしょう。
しかし、過去一年半に書き綴ってきたブログを熟読すると、現在の職業や住んでいる場所は想像がつきます。
僕が特に好ましくない感情を覚えるのは、無関係の人達を巻き込んでして噂の流布を狙い、自らは公に名指しすることなく結果罪にも問われる可能性も少なく、逆に風潮されてその気になって僕を名指した人が名誉毀損罪や侮辱罪で罪に問われる可能性があるという、なんとも狡猾な方法を取っていることです。
このバッシングへの対処方法として僕は仮想世界での人格を捨てることを選択しました。
敢然と立ち向かうという方法もありましたが、まず白黒はつかない。たとえ白黒ついたところで感情のしこりは残ります。そしてそのしこりが手を変え品を変えてのより過激なバッシングへのスタートとなることでしょう。
全くの不毛です。
確かに今まで懇意にしてきた仮想世界の友人達に誤解曲解されて離れられるのは寂しい限りですが、いちいち僕の言い分を説明するまでもないようなバッシング内容です。
事実関係を冷静に考えればわかるはずのことだと思いますが、ただ噂されてることは女性を味方につけるには最適の内容でもあると思えます。共鳴共感同情からの仲間作りですね。
仮想世界の付き合いの中で出来ることは所詮テキストのやりとりや画像、映像、音声といったリッチコンテンツのやりとりだけ。
この仕組みを悪用乱用すれば「真相」なんてどこにあるかわからなくなります。
テキストは会話と違い、返事に「考える」という余裕がある分、頭の回転の良い人は会話を操作ることも可能でしょう。
画像、映像、音声は偽装、合成、作り変えが可能ですから、画像の上に文字を載せたり、映像の一部をカットしたりは、多少の知識があれば誰にでも出来ることです。
おまけにそれらのコンテンツは著作者がわかりません。
世の中は報道されていることがすべて「真相」ではないことを大人であれば大半の人が理解しているはずです。
ただし、悲しいかな人は最初に報道されたことを真相として鵜呑みにしてしまう傾向にあることも否定できません。
ましてやネットの中では発せられたテキストだけが、安易にそのまま「事実」と解釈されます。
時系列で冷静に事実を見つめていると、真相が透けて見えてきますが問題意識がない限りそれをすることはありません。
僕のバッシングについても同様です。
俯瞰するとその内容は実現不可能なことであったり、全くの関係のない人間を巻き込んだり、執拗なバッシングに不自然さを感じてくる人もいるでしょう。
はたして何のために?
なぜにそこまで?
この疑問は正解でしょう。
例えとして適正かはわかりませんが、中国の日本バッシングの真意は中国国内の不満をよそに向けさせるためのもの。韓国のそれも国内経済の低迷と貧困格差の鬱憤のはけ口として中国と同類です。
つまり不自然なまでに執拗な誹謗中傷は何か他に目的があるのです。
この例からも僕を誹謗中傷している人は、仮想世界で僕が信用に値しない人間であることを拡散したいのが狙いでしょう。要は僕の信用を失墜させたいというのが本来の狙いと考えられます。
では何のために?
それは僕の発言を信じさせないためにということになります。
ネットでの存在価値?存在意義?は発せられたテキスト、つまり発言がそれに値しますから。
僕の発言、いや正確にはテキストや画像、映像、音声も含めて僕からの発信に異常なまでにナーバスになっているのでしょう。何かを恐れているのかもしれません。
僕は知り得たことでもそれが本人のプライバシーの侵害にあたるようなことは慎む大人としての常識は持ち合わせているのですが、そこに極度の不安を感じていているのでしょう。
このような場合映画でもそうでしたが、世の中知りすぎた人間は消される運命に至る…といったところでしょうか。
実は僕はその当人と僕の共通の友人に、このバッシングの対処方法として仮想世界でのハンドルネームの人格を終わらせる意向であることを伝えていて、このことは共通の友人を介して当人に伝わってるはずです。
しかし、そのことを伝えてから僕のバッシングの方法が変わりました。
自らブログやSNSで公然と思わせぶりの誹謗中傷が始まったのです、決して僕のハンドルネームを出さずに。
こういった思わせぶりの行為は相手に名前を暗示して連想させ教唆扇動させる高等技術です。
それはもう僕のハンドルネームでは発言がないとわかってからの戦術展開、言ってみれば「死人に口なし」
僕が何も言ってこないのをわかっての戦術でしょう。
こうなれば言いたい放題です。
たとえ仮想世界でもこのように計画的な戦術で教唆扇動されると、仲良くしていた人たちの中には流布されている噂を信じる人もいるのでは?と疑心暗鬼になります。いや、現になりました。
では何故僕がバーチャルでの人格を捨て、バーチャルでの死人に口なしを選んだのか…
僕が尊敬するアルバート・アインシュタインは説いています。
A=X+Y+Z
一般的にはAは成功、Xは仕事、Yは遊び、Zは沈黙とされています。
成功の定義はそれだけで深い話になりますので、ここでは単純に「人間としての成功」とします。
人が生きていく上で仕事と遊びは必須要件です。
一日二十四時間は各々、八時間の仕事と遊びを含む個人の時間と睡眠の構成が目安です。
しかし沈黙は睡眠以外の時間帯での自由意志です。
この沈黙、原文では「keeping your mouth shut」となっています。
直訳では「あなたの口を閉じたままにしておく」ということになりますが、本来いいたかったことは「余計なことを喋らない」と読み解けます。
さらに「keeping your mouth shut」を拡大発展して解釈すれば、余計なことを喋ってる時間を想像という価値ある行動に転換したらどうか、との暗示にも解釈できます。
雄弁すぎる時には背後に何かがあります。
何かをひた隠しに隠そうとするあまり言葉や行動が多くなるのです。犯人は犯行現場に戻ると似た心理でしょう。
僕が知り合いのブログ記事にコメントをすると、そのコメントに続けて僕に関する誹謗めいたことを示唆するコメントの投稿がありました。
こういった行為は何の関わりもない僕の友人のブログのコメント欄に、心地よいとはいいかねる発言を残すことになり、結果荒らされたと等しくなります。
僕に関わることでこの手の迷惑を僕の友人知人にかけてしまってることに心を痛めました。
でも、僕のバーチャルでの人格が消滅すると友人のブログで発言もありません。
結果、人様のブログという土俵で後追い誹謗コメントのような行為もしようがありませんから、コメント欄が荒らされることもなくなります。
自分ごととしても同情をかえる情報で共感する人を釣り上げ、教唆扇動で相手に行動を促し、データの削除、修正などで真相を煙に巻いた「地雷」を随所に仕掛けらたのでは、危なっかしくてとても仮想世界をのんきにマイペースで楽しむなんて出来ません。
これらが僕が仮想世界での人格の一つを消滅させた理由です、知りすぎたもの?は、自ら退場しました。
「あなたは最後まで人を信じる。それがあなたの弱さだ」
森羅万象諸行無常、心も例外ではありません。いや心ほど常に揺れ動いているものはないかもしれません。
信じるという行為は心が分担しています。
信じていたものが信じられなくなった時ほど悲しいことはないでしょう。人は皆悲しみとは無縁でありたい、だからこそ信じ続けたい。
最後まで人を信じるのは、はたして弱さでしょうか…
噂も広まれば真実になるともいいます。
しかし僕はこれは信じています、沈黙は金、雄弁は銀。
そしてアインシュタインの人生の公式 A=X+Y+Z
さてと…
この話題はこれでノーサイド、二度と取り上げません。
このブログのテーマは「洒々落々な日々」
何事にもとらわれず融通無碍な心持ちで毎日を過ごしたいと思いながらも、心のわだかまりを吐露してしまいました。
でもそれは、とらわれないように生きようということにとらわれていたとも云えます。
これは自己弁明かな?(笑)
五十にして天命を知らねければいけないのに、その一世代前の四十にして惑わずも身についていない…
自戒の念を込めて、
かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心 広く広くもっと広く。