カプセルシート

 

 

還暦とは干支が一巡し誕生年の干支に還ることで、昔赤ちゃんの産着に赤色が使われていたので、生誕時に帰る、生まれ変わるという意味で本人に赤色の衣服を贈るならわしがあるとされています。

59歳から、ただ一つ年齢を重ねただけなのですが、そこに何かの意味を持たせて祝うというのは、人間だからこそできること。

そしてこのセレモニーを機に、生き方を見直す、心を見直すという機会と捉えることができれば、それはそれで意味のあることとだと思いますし、自分はそうしたいと思っていました。

 

 

 

人生は長編の私小説

お命をお借りできてるうちは、生老病死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を加えた八苦、悲喜こもごもの私小説が、日々書き加えられています。

そしてこの長編小説のエピローグはいつ来るか、何人も知る術がありません。

まさに神のみぞ知る、と云ったところでしょう。

 

 

 

 

振り返れば、喜怒哀楽に満ちた山も谷もあった、起伏に富んだ六十年の我が人生でした。

墓場まで持っていく話もいくつかはあります。僕は四十代で一時真剣に雲水になることを考えたことがありました。

そこで思いを形にするために、実際に修行をしている僧侶たちを自分の目で確かめるために永平寺に出向きました。

そして目にしたものは早朝から厳しい修行に耐える修行僧たち。。。

ではなく、厳しい修行でも、活き活きと溌剌と積極的に修行する僧侶たちでした。

 

 

 

行とは耐えることなり、と思っていた僕にとって永平寺での光景はまさに驚きでした。

それからは、何故に肉体的にも精神的にも厳しい修行の中、あのように活き活きとしていられるのかを考えるために、今一度仏の教えに向き合いました。

そんな中で僕が導き出した一つの答えが死生観です。

森羅万象 普遍の真理は無常。

無常には形あるものは崩れ、命あるものは絶えるという目に見える現象があります。

しかも、この崩壊と死期は予想することもできず、突然やってきます。

 

 

 

となれば、自分の身に必ず起きる「死」について真正面から考えてみることが大切と考えました。

そこで行きついた死生観について書き出すと、part5ぐらいにまでなりそうですので割愛して結論から云いますと、「命絶える肚作る、その準備をする」ということです。

なんとも誤解されそうなフレーズです(笑)

でもこれは不可避な死について、逃げ惑わず、いずれ行く道として肚を決め、そこから、生ある今に何ができるのか、どう生きたらいいのかを問うということです。

 

 

 

その、命絶える準備として還暦を迎えたら遺言書こうと決めたのが四十代でした。

そして今年の6月9日に還暦を迎えたわけです。

 

 

 

遺言というと今日明日にでも現世に別れを告げるための置き書きのように感じますが、僕が云うのはそうではありません。

神のみぞ知る、自分ではコントロール不可能な死で生じる、悔い、やり残しや、現世に残された人たちへの心遣いとして行う身辺整理と想いの置き手紙なのです。

実際、父母の他界を通して物理的な整理で困ったり、迷ったりしたことが多々ありました。

ですから残された人たちに、少しでもその手の負担を軽くしてあげたいのです。

特に現代は資産と呼ばれるものの所在が複雑になっていたり、個人で契約している、一見わかりにくい出費などの数が多くなっています。

例えば口座引き落としやクレジットカード決済の契約は、水道光熱費、マンションの管理費、改修積立金など明確にわかるものだけにとどまりません。

インターネットプロバイダ、Netflix、Hulu、Amazonのプライム会員などの費用、このホームページのJimdo Proの契約、ポケットWi-Fi、携帯電話などインターネット関連だけでも、自ら退会解約処理をしないと永遠に請求されるものがあります。

さらにはクレジットカード。

これも国内普段用、高額購入用、海外専用、ETC専用、ガソリン専用と数種類ありますので、これらの解約が必要です。

解約以外でお金に関するものでは、預貯金や有価証券、会員権でしょう。

銀行口座とそれに対応する通帳、印鑑、カードと暗証番号。ネットバンキングでのID&PWも記しておく必要があります。

それに有価証券やゴルフ会員権なども明示しておかないといけません。

あとは保険も忘れてはいけないものの一つですね。

それと友人の弟が亡くなった際の困ったこととして教えてもらったのが、マイナンバー。

今は行政サービス関係には必須のこのナンバー。これが分からなくて苦労したと話してました。

あとは放置しても特に問題はないものの、本人だけが知ってる無料のネットサービスです、例えばgoogle

僕は友人、仕事関係、買物専用など相手別に三つのgoogleアカウントを使い分けていますが、その中の一つのアカウントではgoogle photoを使って、おおよそ全てのデジタル写真を管理しています。

これはある意味、僕や僕の家族の財産ですから、そのID&PWも知らせておくべきでしょう。

それ以外にもTwitterInstagramPinterest、roomclip、ペコリなどなど多くの自分が情報発信したSNSサービスがあり、これらについても僕自身の「偲ぶ会」のネタ?(笑)として、知らせておくべきものもあるような気がします。

 

 

 

それとエンディングノートについてのTVの特集番組で、とある芸能人の終活で話していたことですが、彼女はレシピも「母の味」として残していく準備をしているようでした。

確かに、これも気がつかなかったのですが納得です。

我が家ではbabarinaの作る餃子のような「母の味」があります。

しかし、娘達にとって「実家の味」となれば、父の作ったイタリアンということになるでしょう。

食べるのが専門だったchojolyが、結婚を境にレシピの質問が多くなりましたし、僕が料理をしている最中に味見ではなく、覗き見が多くなりました。

いずれjijottyも同じようになっていくでしょう。

そんな娘達のためにも、基本エアーレシピで分量はイメージ、一期一会で同じ味の再現が不能に近い僕の料理も、過去に少し頑張ったような定量的なレシピとして残していくのも、子供孝行の一つ、遺言の一つかもしれません。

 

 

 

残された人に受け渡すものはお金や資産だけはありません。

使えば消えるお金と違い、決して消え去らないもの。。。相手への想いを綴った手紙です。

ご縁あって人生をともに歩んできた妻へ。

晴れの日も、曇る日も、雨の日も、雪の日も、嵐の日も、ともに手をとりあってここまで歩んできた妻へ、その感謝の気持ちを素直に精一杯伝えたい。

娘達のおかげで、喜びは倍増し悲しみは半減しました。

くじけそうになった時、穏やかな寝顔を見て何度立ち直ることができたことか。その感謝の気持ちを素直に精一杯伝えたい。

芋づる式の親友、悪友達へ。

幾つになっても純粋にあの頃に戻れる、上下や利害や打算のない関係。その感謝の気持ちを素直に精一杯伝えたい。

 

 

 

それと自らの退場のセレモニーを自らプロデュースすること。

見方を変えると現世からはお別れの会となりますが、来世では歓迎会となります。

そこには葬儀場、葬儀形式、棺桶に入れて欲しいもの、葬儀の際にかけて欲しい音楽と事細かに書いておきたいと思います。

それも偏に残されたもの達が、現世を去った僕のセレモニーの方法で迷わないようにするためです。

還暦を迎えたら遺言を書こうと思っていましたから、葬儀についてもおおよそのイメージはあります。

そんな中、今もって迷っているのが戒名。

仏教徒曹洞宗を信じる僕にとって、白洲次郎のように「葬式無用 戒名不用」とは出来ませんが、果たして戒名の本来意味するところからして、戒名に相場とランクがあるというのは。。。これいかに(笑)

これについても、これから何度も考えることになるでしょう。

 

 

 

今では遺言とは言わず、エンディングノートと云うそうです。

それでもエンディングが終末をイメージさせるということで、カプセルシートという言葉が生まれてきたようです。

僕にとって呼び名はなんでもいいです(笑)

要は四十代に決めたことを、その時期、還暦が来たので実行するだけです。

それはいつ召されるかわからない自分の人生を、充実し悔いのないものにするため。

そして召された時、残されたものに、心からの感謝の意を伝え、僕の永遠の旅立ちで労をかけないため。

それらを通して命絶える肚を作ることです。

このカプセルシートは一年かけて作り上げます。

そしてご縁あって生かされていて、また誕生日を迎えることができたら。。。そこからまた一年かけて作り上げます。

つまり、これからは誕生日を迎えたびに遺言が増えていきます。

云ってみると遺言にバージョンがあるようなものですね。

でも、考えてみればこれは極めて自然。

60歳と61歳の時点では遺言に書くべき項目に変化が起きていて当然です。

銀行の預金通帳の残高は確実に変わってるでしょうし、有償無償のインターネット関連サービスだって退会解約があるでしょうし、ことによっては新たなサービスと契約しているかも知れません。

同様のことは親しき人々への想いの置き手紙にも云えます。

一年間での思い出が書き直しをさせるかも知れませんし、忘れてはいけなかった過去の思い出を新たに思い出すかも知れません。

エンディングセレモニーにしても同じこと。

非常に考えにくいことですが、僕が宗旨替えしないとは言い切れない(笑)

仮に宗旨替えしたとすれば、そもそも戒名問題など存在しなくなります。

と、この命ある限り誕生日を迎えたら遺言=エンディングノート=カプセルシートを、一年がかりで更新するわけです。

となると、古希の祝いでは9冊、喜寿では16冊、傘寿では19冊、米寿では27冊カプセルシートがあることになるわけです。

 

 

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし

世の中にある人とすみかと、またかくの如し

近頃の若い者は。。。と、

疎むことなかれ

過去に来た道

最近の年寄りは。。。と、

嫌うことなかれ

いずれ行く道

人は皆、生まれ、病み、老いて死す

散る桜

残る桜も

散る桜

              

死を真正面から見据えて

生きる意味を考え

生きる心を整え

生きる力を授かる

           還暦に寄せて