これまでの詳細はhistoryに綴っていますが、西洋医学では完治しないといわれてる病を一昨年の秋に発病した家内。

その家内の治療のために月に一度大学病院へ連れて行っています。

 

昨日もその日でした。

 

 

 

 

診察が終わった彼女がいつになく笑顔で待合室で待っている僕の元に戻ってきました。

満面の笑みを湛えた表情から検査結果が良くなっていたとこは容易に想像できました。しかし今回の喜びはそれ以上のものだったのです。

 

治療を始めて約二年、寛解の言葉は出なかったものの定期的に通院する必要がないまでに回復してきたと告げられたとのこと。

 

予想を超えるあまりにも嬉しく有難い言葉でした。

二年前の晩夏に体調を崩してから今までの二人三脚でやってきた闘病生活が走馬灯のように脳裏をよぎり、言葉が出ませんでした。

 

 

 

その帰り道、昨年末に倒れてから病院や施設で闘病生活を送っている実姉のお見舞いに立ち寄ってきました。

 

幼少の頃病弱だった僕とは真逆で、病気らしい病気をしたことがなかった姉ですが結婚後の三十代後半からは何かの病気との戦いの連続でした。

 

命に関わる大病を三度も経験しながらその度に衰える体力。

日常生活にも多少の支障をきたすぐらいまでに弱った体に追いうちをかけるように、昨年末自宅で再度倒れてしまいました。

 

病名は癲癇。

僕の浅学な認識ではこの病気は発作を引き起こす一時的なものでしたが、正しくは意識障害全般を指すそうです。

その結果姉は片足が動かなくなってしまいました。

 

大学病院での治療とリハビリ、その後はリハビリ施設でのリハビリを行っていたのですが、同じところに長くいることができないルールなのと、自宅に戻りたいと切望する姉の意向に沿って、お盆の頃に自宅近くのグループホームに移動しました。

 

お盆過ぎの入所の際は僕も手伝って施設にお世話になった姉。

今回はそれ以来の面会で一ヶ月が過ぎていました。

 

 

 

長い闘病生活は老化を加速させるように感じます。

まだ六十代前半なのにそうは見えない姉の姿を見るたびに心が痛みます。

 

しかし今回は血色が良く会話中も笑顔がありました。

どうもこの施設の環境や方針、食事にサービスが気に入っているようでした。

 

この施設の前にお世話になっていたリハビリ専門の病院の方が、部屋も広く設備も充実していたように思いますが、そこでは見せなかった笑顔や話題が出てきました。

 

故事成句の句並べクイズをしたり、風船バレーをしたりと日々の出来事を楽しそうに話す姉を見て安心しました。

幸せとは状況を指すのではなく心の状態を指します。

 

前の施設では入所者同士のコミュニケーションがスムースじゃなかったようでした。

聞くと些細なことでの行き違いや、曲解誤解、それがわだかまりとなって感情の縺れとなり、結果悪意を持った発言や行動がままあったようです。

 

そんなこともあり姉はそのリハビリ病院は居心地が悪ことを切々と訴えていましたから、今度のグループホームでの生活にとても満足している様子。

 

 

 

病から来る体の不自由さは避けようがありません。

今まで何も考えることがなく普通にできていたことが、ある日突然できなくなることへの苛立ちや悲しみは言葉にできないことでしょう。

 

ただ釈迦もいっています、痛みは避けようがないが苦しみは選択できる、と。

痛みは五感で認識するものですが苦しみは心で感じるもの、とでも読み解けるでしょうか。

 

苦しさも幸せも、心模様の一つ…

 

今、僕も姉のリハビリ病院で起きたと似たようなことを仮想世界で体験しています。

多分、洒々落々、融通無碍、行雲流水な心持ちで現象にとらわれない心が試されているのでしょう。

 

苦しいこともあるだろう、言いたいこともあるだろう、不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、泣きたいこともあるだろう。これをじっと我慢していくのが男の修行。

 

さらにもう一つ上へ、善をも思わず悪をも思わず、両忘。

 

 

 

日々修行 生きてる間は修行 死ぬまで修行。